《自己紹介》

みなさん、こんにちは!

僕は長谷川 広典(はせがわ こうすけ)と言います。

ペンネームは、誠間 啓展(まことま ひろのぶ)と言います。


僕は、一般企業で働く傍ら、

任意団体「啓命(けいみょう)」の代表を務めさせていただいています。

この団体は、「何が起きても、我々の人生(命)を切り開く(啓)!」ための団体です。


活動としては、

①元気新聞の発行

②元気絆会の開催

を、主な活動としています。


①は、啓発活動として、
「≪ありのまま≫かつ≪全力≫で、楽に楽しく生きる!」
ための情報発信を行っています。

②は、希望者が集まって、
春は花見、夏は星眺め、秋はピクニック、冬は鍋、などを行いながら、
共に人生を切り開くための会話をざっくらばんに行う、というものです。


ただ、2015/11/12現在は、いずれもお休みしています。


お休みをいただいている理由は2つ。


1つ目が、もっと僕の見聞、意識、思想を深めねば、
人様を元気にすることなどおぼつかないと思ったからです。

これについては、現在目下精進中です。


もう1つの理由は、たとえどんなに「啓発活動」を叫んでも、
まず相手の体が「健康」でないと、
「心の元気 」はあり得ない、と気づいたからです。

現在、我々の「健康」は、様々のものにより脅かされています。

食物にも、

遺伝子組み換え食品や、
化学調味料
食品添加物
防腐剤、
保存料、
着色料、

などの危険がありますし、

また「経皮毒」と言って、シャンプーや歯磨き粉から体内に摂取されてしまう毒もあります。

現代の「健康の維持」は、100年前のそれよりかなりハードルが上がっています。

それ故、それを見極める「智慧」が必要です。

これについても、現在目下精進中です。


将来的には、僕がますます≪元気≫であって、
周りの人にもますます≪元気≫になってもらって、
≪元気≫の輪をもっともっと広めていって、
数えきれないくらいの人と、
数えきれないくらいの笑顔を共有する!
というのが僕の夢です。


なので、元気新聞も、元気絆会も、そう遠くないうちに復活させるつもりです。


みなさんの周りには、≪元気≫であることを阻害する障害が、いろいろとあるでしょう。

経済的な障害、
健康に対する障害、
人間関係の不和、
理想に追いつけない自分へのふがいなさ、
諦めという錆び付き、
失ってしまったものへ対する涙、
光の見えない無明、
自己卑下、あるいは傲慢、
刺さったまま抜けない言葉のトゲ、
完璧を求めてしまう自分、
自分本意で醜いと思ってしまう自画像、
叫び出したいほどの嘆き、
etc, etc.


大丈夫です。

どの問題も解決できます。

なぜなら、これらは全て僕が通ってきた道だからです。


ここで、僕の「生い立ち」を語ろうと思います。

僕は大学に入るまでは普通の人間でした。

しかし大学一年生の冬、僕の人生は狂い出しました。

見えないものが見えるようになり(幻覚)、

聞こえないものが聞こえるようになり(幻聴)、

理に敵わないことが真実だと思えたり(幻想)、

もう何が何やらパニック状態になりました。

暮らしていた寮で裸になって暴れ、

警察に通報した寮生によりパトカーが寮まで来て、

そのあと精神病院をたらい回しにされました。

途中で僕は眠ってしまい、次に目覚めた時は精神病院の隔離室の中でした。

僕はベッドに腰のベルトで固定され、身動きがとれず、

隣の部屋からは「ううう」「あああ」といううめき声が聞こえます。

僕は思いました。

「ああ、おれはあの後殺されて、そして今≪地獄≫にいるんや」

と。

食事を運びにくる看護婦さんも、僕を差別的に見る感じで、僕は彼女を修羅か羅刹かくらいにしか思えず、僕のパニックを助長しました。

本当に叫び出したいくらい怖かったけど、グッと我慢して、その修羅のご機嫌を取りました。

一刻も早くこの≪地獄≫から抜け出すために。

そして僕はしばらくして隔離室から解放されたのですが、そのときは衝撃でした。

「あれ?ここ普通の病院じゃん…」

そのときようやくパニックが解けました。

しかし、≪病気≫は確実に僕を蝕んでいました。

僕につけられた病名は、「統合失調感情障害」。

幻覚、幻聴、幻想、パニック、を主な症状とする「統合失調症」と、

極端な気分の高揚と落ち込みを繰り返す「双極性障害」の、複合障害です。

僕はもう大学どころじゃなくなり、地元、福井に帰り、治療に専念しました。

しかし、僕はどうしても大学に復帰したいという想いが捨てきれず、

家族に何度も訴え、なんとか許可を得ました。

ただ1つだけ、「与えるチャンスはこの一回だけだぞ」という条件付きで。

家族にとっては大きな「賭け」だったと思います。

しかし、それでも僕の意志を尊重してくれたことは、ありがたいことだと思います。

そして大学に復帰して、それなりに楽しい生活を送っていたはずでしたが、

あの「狂気」が、再び僕を蝕みます。

復学してちょうど1年後、僕は言動がおかしくなり、
僕の所属していたサークルを、他ならぬ僕自身の手でメチャクチャにしてしまいました。

病気になる前も、なっているときも、なった後も、変わらず支えてくれていた大切な女性にも、

「お願いだからもうこれ以上私を困らせないで…」と言わせてしまいました、、

そして僕は、両親との約束通り、大学を中退することになったのです。。


僕は、受験生の時は、この第一志望の大学に受かりさえすれば、幸せになれると思っていました。

でも、大学に入って、待っていたのは「病気」でした。

でも、退院さえすれば元に戻れると、そんな期待を抱いていました。

でも、退院して実家に帰っても、そこにあったのは、空虚なだけの日々でした。

そこで僕は、大学に復帰さえすればまた幸せになれると思っていました。

しかし、それすらも裏切られました。

しかも、それを裏切ったのは、僕自身、、

僕は思いました。

「ああ、

幸せって、

追えば追うだけ逃げるんだね、、

だったら、

もういいや、、」

僕は、幸せに向かって手を伸ばすことを放棄しました。。



それからの僕は、自堕落で自暴自棄で、職も安定せず、

得たお金も遊ぶ金で浪費してしまうというダメ人間ぶりでした。

もちろん病状が安定していなかったというのもあります。

しかし、それだけではないでしょう。

そのときの僕の根底にあったのは、
「諦め」
「嘆き」
「失意」でした。

しかし、そんな生活を送っていたのですが、ターニング・ポイントが訪れました。

それは母の口から訪れました。

きっかけは何だったか忘れましたが、話をしているうちにこんな話になりました。

「…広典が病気になった時は、広典の寮の先輩から広典くんが暴れていますって連絡があって、

その人が同時に警察にも相談したことでパトカーも出動して、

これは大変なことやと思って夜行バスでお父さんと駆けつけたんや。

早く広典の顔を見たいと思ったけど、東京に着いたとき、広典は精神病院をたらい回しにされてて、

精神科の先生に受診されているときは会わせてもらえんかった。

やっと会わせてもらえたのは、次の精神病院に搬送されるときやった。

広典はそのとき眠ってて、広典の左手を握ろうとしたら、その手首にリスト・カットの跡を見つけてもた。

そのとき胸が押し潰されるほど悲しくて、悔しくて、

『広典、つらかったんかあ? 頑張りすぎたんかあ?』って聞いたら、

広典が寝言で『うん、うん』って言ったんや…」



それを話す母の目は、全てを受け入れたかのように穏やかでした。

僕はここで泣いてもよかったのかもしれませんが、
「自分には泣く資格などない」と思ったのか、泣くことはありませんでした。

ただ、それはこれからの僕の人生で示していくことなのだと思いました。

「ここ」でした。

これこそが、ズバリ「ターニング・ポイント」だったのです。

ここで惰性でマイナスに落ち込むばかりの僕の人生が、上向きの矢印になったのです。

もちろん、だからといって、今まで積み重ねたマイナスはすぐには消えません。

そのときはまだ病状も安定していませんでした。

それでも、そのとき確かに情熱の種火が点火したのです。


そして、現在、発病から丸8年が経ちました。

病気のうち「統合失調症」の部分はほぼ完治しましたし、

双極性障害」の方は薬を摂ることでコントロールできるようになりました。

大学を中退し、自暴自棄で生きていた、あの「焼け野原」状態から、いろんな出会いもありました。

僕の身近なところにいるメンターにも、4人も巡り会えました。

僕は、勝手に彼らのことを、「4大身近理想像」と呼んでいます。

彼らを含めいろんな人と巡り会わせていただいて、僕なりに得た「座右の銘」があります。

それは、「≪ありのまま≫と≪全力投球≫の両立」です。

これは、「ありのまま」でいい、から、自堕落でもいい、ではなく、

「全力投球」がいい、から、無理をしてもいい、でもない。

この「ありのまま」と「全力投球」を両立させることで、
楽しく、かつ、楽に、生きられる、という言葉です。

「ありのまま」は、「心」の元気です。

「全力投球」は、「体」の元気です。

そして、「心」と「体」は「色心不二」です。

つまり、これらは車の両輪であり、片方だけでは傾くのです。

僕も、この道からそれるときもありますが、

その度に軌道修正して、楽しく、かつ、楽に、生きている真っ最中です\(^-^)/


さて、それでは最後に、僕からみなさんへの「メッセージ」を語ろうと思います。


「幸せへの扉」は、いつ、どんな時も、開いています。

たとえ何が起きようと、その扉は、閉じてしまうことはありません。

ただ、肝心なことは、

「その扉をくぐるには、あなた自身の足で歩かねばならない」ということです。

誰かにその扉のところまで運んでもらったり、代わりにくぐってもらったりはできません。

ただ、僕は道を示せます。

その扉はどこにあるか、どれくらいの道のりか、どんな道のりか、僕には示すことができます。

僕に対応できないことでも、僕には仲間がいるので、きっとあなたの道しるべになれるでしょう。

僕たちは、あなたにとって、闇夜の道しるべである「北極星」でありたいと思っています。

一緒に命を啓(ひら)いていきましょう!(^o^)

ご精読ありがとうございました!!

ここまで読まれたら是非感想などお聞かせくださいね♪(^o^)v